監修者序文
監修者という大役をお引き受けはしたものの、私は薬学についてはまったくの門外漢であり、加えて著者の青島周一さんとはコロナ禍のせいでこれまで一面識も得ていない。ただ、きっかけは青島さんが編集企画を担当された雑誌『総合診療』第30巻5号(医学書院)に、寄稿を依頼されたことである。特集タイトルは「私を変えた激アツ論文」で、自分に変化を迫るような感動や衝撃をもたらした最も印象に残る論文について論じてほしいという注文であった。私は企画の面白さに惹かれて、哲学者の恩師・大森荘蔵の論文『ことだま論』を取り上げて原稿を送ったが、その過程で青島さんの哲学に対する造詣が端倪(たんげい)すべからざるものであることを知り、監修というよりは校正のお手伝いをすることになった次第である。
もちろん私の役目は、青島さんの原稿の哲学に関連する部分について、専門的立場から助言とチェックを行うことに限られている。その点では、哲学上の概念や用語についての誤解や誤読については遠慮なく指摘・訂正させていただいた。ただ、大きな誤りは驚くほど少なかったことを付け加えておかねばならない。それどころか、渡辺慧の「醜いアヒルの子の定理」については、きちんと原著・原論文に当たって引用しておられる〔一般読者は渡辺慧『認識とパタン』(岩波新書)を参照されるのがよい〕。また「観察の理論負荷性」「経験主義のふたつのドグマ」「中動態」など、哲学の先端的なトピックにも言及しておられることには正直驚かされた。先に「端倪すべからざる」と形容したゆえんである。
もう一つ相談に与ったのは『薬の現象学』というタイトルの是非についてである。青島さんは哲学に詳しいだけあって、「現象学」といえばフッサールの超越論的現象学を意味するものと考え、それを薬学に転用するのは羊頭狗肉になりはしないかとの懸念をもっておられた。むろん狭義の現象学ならばその通りだが、現代では「現象学」という言葉はかなり広範囲な用いられ方をしている。そもそも現象学の創始者フッサールは、その核心的精神を「事象そのものへ!」と言い表した。つまり、先入見を捨てて事柄そのものと虚心に向き合って現象を記述せよ、という準則である。それからすれば、薬剤をめぐる生活世界的経験をさまざまな角度から厳密に記述しようとする本書の姿勢は、まさに現象学的と呼ぶに値する。
私は初校ゲラを拝見しただけだが、それだけでも「プラセボ効果」や「ポリファーマシー」あるいは「ケアとセラピー」の対比など、これまで中途半端にしか理解していなかった医学・薬学の用語や概念について、きちんとした理解と知見を得ることができた。また、ところどころに挟まれる哲学的議論も、私にとっては薬学と哲学との接点について大いに蒙を啓かれるところがあった。監修者の役得というべきであろうか。これは一般読者にとっても同様であろうと思われる。監修者としては、本書が広く江湖(こうこ)に迎えられ、多くの読者の手に渡ることを願うばかりである。
2021年12月20日
東北大学名誉教授、立命館大学客員教授
野家啓一
著者序文
この世界では、あらゆる事物が絶え間なく変化している。あるいは「変化しているように感じられる」といったほうが適切だろうか。変化という言葉が現象そのものを表現していないにせよ、僕たちの直観によれば、身の回りで起こる出来事のすべては、変化をともなうものとして認識されている。砂浜に打ち寄せる白波や、風に揺れる木々の葉、巡る季節とその景色。おおよそ、変化のない事物を想像することのほうが難しい。一見すると、変化していないように見える事物も、長い年月を経ることで朽ち果て、やがて世界から消えゆく運命にあろう。
僕たちは、無数の変化のいくつかに関心をもち、ときに変化が起きた理由を知りたくなる。その変化が人間社会にとって有益なものであればあるほど、理由に対する興味や関心は高まっていく。変化に向けられる人間社会の眼差しは、いつだって因果的だ。
薬剤師である僕の仕事は、薬の効果を言葉にしていくことである。薬を飲むことによって、その後の健康状態がどのように変化するのかを予測し、実際に服薬した後に起こった健康状態の変化を評価する。そういう意味では、薬の効果を論じることは、過去と現在、そして未来の出来事のつながりを描こうとする試みの一つでもある。薬学という学問を基盤に、薬によってもたらされた変化を言葉で表現することこそが、薬剤師の専門性といえるかもしれない。
しかし、「薬に効果があった」と言葉にしたところで、その効果は何のためのもので、人の生活にとってどんな価値や意味の変化もたらすものなのか、何も語れない。加えて、僕たちに認識可能な変化は、変化に付随している出来事のすべてではないことに注意しなければならない。変化に対して因果的な眼差しを向けている僕たちは、常に関心に応じた出来事の取捨選択を行っており、その解釈は少なからず文脈や都合によって現実とは乖離する。そもそも、身の回りで生じているさまざまな変化に、関心すら抱かないことのほうが多いのかもしれない。
薬が人の健康や生活にもたらす変化を、特定の関心や文脈に捉われることなく見つめるためには、どのようなフレームワークが必要だろうか。「薬が効くとはどういうことか?」「人の生活にとって薬とは何か?」。本書では、そのような根源的なテーマを「存在」「認識」「情動」「生活」という4つの側面から考察し、薬を飲むという行為が人の生活にもたらしうる変化について、多様な視点から眺めるための視座に迫る。人の生活にとって、薬がどんな価値や意味をもたらすものなのか、その言葉を得るきっかけとしていただけたら幸いである。
2021年12月1日
秋深まる栃木市にて
青島周一