改訂にあたり
昭和60年に大阪大学を卒業し消化器内科医を志した頃、諸先輩方から懇切丁寧に診断のイロハと医療に対する情熱を教えていただきました。卒後20年が過ぎる頃から、私を育ててくれたこの環境に対しわずかでも恩返しできるよう、優秀な若手肝臓専門医の育成に力を注いできました。その一環として本書は誕生しました。ともに働いた同僚、縁あって出会いその技量に感銘した同世代の医師を中心に執筆をお願いしました。知識の普及はもちろんですが、読者に興味を持っていただけるよう裏話などもはさみました。また本書には、従来のレジデント向けの指南書にはない肝臓病理や、今後重複感染が問題になってくるだろうHIV 診療の章も盛り込みました。研修医やレジデントの学会デビューの多くは地方会での症例報告で、その際に肝組織をスライド呈示することもありますが、肝臓病理をきちんと理解して発表できている若手医師はどれだけいるでしょうか? 肝組織をもっと身近に感じ、自分が生検した患者さんの肝組織はぜひ自分自身の両目で観察し評価してもらいたいと思い、肝臓病理の項をもうけました。一方、昨今増加するHIV感染合併B型肝炎およびC型肝炎患者さんに対応するべく、HIV感染の基礎知識を取り上げています。読者の皆さんはまだHIV感染症を身近な疾患と感じておられないかもしれませんが、気づいていないだけで身近に患者さんはおられます。担当するようになっても、慌てないようにご一読ください。
B型肝炎ウイルスが発見されて半世紀が過ぎました。母子感染防止事業の成果で新規キャリアは減り、さらにユニバーサルワクチンの導入でB型肝炎は根絶への道が開けています。しかし、現状ではまだ核酸アナログの必要な患者は多く、肝細胞癌の新規発生も絶えません。C型肝炎ウイルスも発見されて四半世紀が過ぎ、今やDAA治療によりほとんどの患者でウイルス排除が期待できます。それでもウイルス排除後発癌は一定頻度で起こり、また非アルコール性脂肪性肝炎の肝癌も増えています。その肝癌に対する治療ですが、選択肢に化学療法が加わり、肝臓学・肝臓病学はますます面白くなっています。
新専門医制度によって卒後教育が大きく変貌しました。初期研修後、さらに内科研修を3年となると、肝臓内科の専門研修は大きく遅れてしまいます。本書は一般内科を研修するなかで、効率よく肝臓内科の研修ができるよう工夫しました。もちろん、レジデント以外の医師の皆さんにも十分に役立つ内容に仕上げました。読者の皆さんには、まず現在の肝炎・肝癌診療の流れを理解していただき、これからの日常診療にいかしていただきたいと思います。
追記:新型コロナウイルスの感染拡大に対して大阪府には3回目の緊急事態宣言が発令されています。コロナ対策には多くの肝炎ウイルス研究者が最前線に立っています。すべての医療従事者に敬意を表するとともに、ともに難局を乗り切りたいと思います。
2021年5月
国立病院機構大阪医療センター 副院長 三田英治
以前に、阪大病院の病棟主任を10年近くし、4年余り前から基幹病院の主任部長をしている。研修医・レジデントの時期に、医師として本当に大事なことを伝えたい。いつもそんな思いでいる。では、その大事なこととは何か? できれば、この本の読者の一人ひとりと、Stags’ Leap(Napaの赤ワイン)でも飲みながら一晩かけてゆっくり話したいところだが、そうもいかない。その代わりになるかどうかわからないが、今回は、約20年前から研修医たちに熱く語っている治療適応の考え方について、私が以前から提唱している“NSE(First, Necessity;Second, Safety;Third, Efficacy)”を紹介したい。
まず、Necessity(必要性)があるか? どんな治療でも、その治療が奏功したときに、自然経過に比べて予後あるいはQOL が改善することがなければ治療を行うべきではない。合併疾患があれば勘案する。新たな薬剤や手技というだけで、明確な目標をもたずに治療を施行してしまうと、重篤な副作用や合併症が出現したときに何の申し開きもない。
次に、Safety(安全性)はどうか? 治療の必要性が確かなものであれば、次に考慮すべきは個々の患者における治療への安全性である。可能性のある副作用や合併症への対処が可能であると判断でき、患者の承諾が得られれば、基本的に治療は可能となる。
最後に、Efficacy(有効性)はどうか? 治療が奏功する可能性について患者に説明し、有効性が低くても、患者の了解が得られれば、実際に治療へと進むことができる。
治療適応は、ぜひNSEの順に丁寧に確認して決めてほしい。最も難しいのはNecessityである。SafetyやEfficacyは、大規模データや臨床試験などから情報を得ることができる。医師の資質を最も問われるのは、Necessityの判断である。
2010年、肝臓学会総会のシンポジウムでC型肝炎の治療方針について大きな議論があった。DAA製剤の上市が2~3年先に見えてきた頃、副作用が強く、治療効果の低い「IFN治療の適応をどう考えるか?」をめぐり、有名な肝炎センターは「IFN治療の効果が特に低い高齢者や線維化進展例はDAAまで治療待機すべきである」と主張し、私たち阪大グループは「肝発癌の高リスク群である高齢者や線維化進展例こそ早期にIFN治療を行うべきである」と強調した。後に、日本肝臓学会のガイドラインに、高齢者や線維化進展例には速やかにIFN治療を行い、若年者や線維化非進展例はDAA治療まで待機可能とすることが盛り込まれた。
Necessity, Firstで決めたことには、副作用に細心の注意を払いながら、極力投与量を減じないように努めるなど、最大限の治療効果が出るよう全力を尽くす必要がある。少々の副作用ですぐに減量していては、よい治療効果は得られない。主治医を信じて治療を受けている患者に対して、最大限の努力を惜しんではいけない。逆に、副作用や有効性の低さを強調して、必要性があっても治療しないことを勧めるのは決してよい医師とは言えない。
本書は、研修医・レジデントの皆さんに効率よく医師としての基礎を作ってもらうことを目的として作成された。この読者のなかから、一人でも多くのすばらしい臨床医が誕生することを祈念している。
2021年5月
大阪労災病院 副院長・消化器内科部長/がんセンター長 平松直樹