序

膝関節痛の病態は千差万別であり，疾患固有の特性のほかに，同一疾患であっても症例によって異なった病態を示す．そのため，膝関節痛に対する理学療法は，症例の個別性に則した理学療法プログラムが立案されるべきであり，疾患別に規格化された理学療法プログラムを提示することは現実的ではない．一方で，膝関節痛を有する患者は，疾患特性や症例の個別性に依存しない普遍的な問題も抱えている．その普遍的な問題とは，動作中の膝関節の運動が機能解剖学的合理性を満たしていないということである．機能解剖学的合理性から逸脱した異常な関節運動が，関節周囲組織にストレスの集中化を招き，その結果として関節病変が引き起こされるのである．したがって，関節に機能障害や疼痛を有する患者の理学療法では，関節運動を機能解剖学的に合理性のある状態に修正することが普遍的な目標となる．

機能解剖学的な合理性を欠く関節運動は，身体運動の制御が適応的な状態から逸脱することによって引き起こされる．関節の機能障害や疼痛は非生理的な関節運動の結果として生じる．疼痛や違和感などの主訴となる症状が起きるメカニズムは，関節の運動を詳細に観察すれば容易に説明がつく．ところが，「なぜ非生理的な運動が生じているのか？」という原因を特定するのは難しい．なぜならば，身体のすべての体節が運動連鎖によって連動するため，ある関節の異常運動が遠く離れた体節の運動の結果として生じることも珍しくないからである．例えば，荷重位で膝関節が過度に内反する原因が，骨盤の後傾によるものであるといった場合である．このような患者に対しては，膝関節への介入だけではアライメントの修正は期待できない．骨盤を前傾位に保持するための機能に対して介入する必要がある．運動連鎖の概念を応用すれば，原因と結果の因果関係を運動学的に推論することが可能となり，局所の問題を身体全体のシステムの異常として捉えることができるのである．したがって，膝関節の運動を正常化するためには，患者の身体運動を詳細に分析し，機能解剖学的な関節運動や動的安定性を阻害するような運動の連鎖を改善することが求められる．

また，関節に疼痛を有する患者は，疼痛によって身体運動の制御に混乱が生じている場合が多い．疼痛が慢性化していくなかで，運動を行うために必要な感覚情報の処理過程に問題を抱え，身体運動の制御に重大な問題を抱えている患者も少なくない．疼痛の管理は理学療法を行ううえで，重要な課題の一つである．疼痛を主訴とする患者に対して介入を行う際には，疼痛を単なる痛覚としての知覚情報として捉えるのではなく，心理・精神機能や認知といった高次脳機能が関与して，脳のなかで作り出されるものであるという認識をもつべきであろう．

本書はさまざまな疾患によって引き起こされる膝関節の機能障害を改善するための，疾患によらず共通の普遍的問題に対する理学療法について，その理論と実際を解説したものである．本書が皆様の臨床の一助となれば幸いである．

2022年6月

国際医療福祉大学大学院福祉支援工学分野 教授
石井慎一郎