第12版　序

故・大熊輝雄先生による本書は，精神神経医学に関係するすべての領域を網羅した世界的に見ても稀有な単著として，精神神経医学に携わる多くの学生や医療人に愛用されてきました。本書が1980年の初版以来30年の歳月を刻み，名著・バイブルとして名誉ある伝統を保ち続けておりましたのは，最新の内容に基づいて11回もの改版を重ねた，大熊先生の類まれな情熱とご努力によるものです。

さる平成22年春，大熊先生から出身大学のずいぶん後輩の私に長文のお手紙が届きました。そこには，真摯な筆致で，本書への思いがつづられ，ご自身の健康問題から，教科書の改訂をこのまま辞めようか，いや続けようか，という逡巡がありのままに表現されていました。あまりに重たいお手紙にすぐにお返事出来ずにいたところ，間もなく第二弾のお手紙をいただき，そこにははっきりと私に本書を受け継いでほしいと書かれていました。このような名著を後世に受け継がれるべきものとして存続させることは大変困難で責任の重いことでしたが，大熊先生が本書に込められてきた静かで熱い思いをお伺いするにつけ，この大著を up－to－date に改編し，今後の学術の進歩と医学・医療の発展に寄与することは，私どもの使命と考えてお引き受けいたしました。しかしこの歴史ある本書の12版改訂の編集作業を単独で行うことは，どう自分の能力を過大評価しても無理だと判断し，東京大学精神医学教室の同窓を中心とした多数の専門家と協力して改訂のお手伝いをさせていただきたいと申し出たのです。

その後も大熊先生は，無理をおして診療を続けられるとともに，2010年6月には第17回国際神経精神薬理学会（CINP）において CINP Pioneer Award を受賞され，私たちもそれに励まされて改訂の作業に取り掛かろうとしていました。その矢先，2010年9月15日，大熊先生のご逝去という大変悲しいお知らせが届きました。さらには，東日本大震災が起こり，私たちを含め日本中の精神科医が震災後のこころのケア活動に奔走しました。そして，今ようやくここに，改訂12版を皆様のもとにお届けできる運びとなりました。

今回の改訂は，多数の専門家のご協力を得て，大熊先生の単著という本書の最大の特長と後世に残すべき内容を守りながら，ハイレベルで up to date の内容を維持するための必要最小限の改訂を行う，という趣旨で行いました。

本書が医学生をはじめ，研修医，精神科医及び精神医学，精神科医療，保健，福祉などに携わる方々，そして同領域に関心を持つ方々に幅広くかつ的確に利用されてきた伝統を，これからの精神医学への貢献にもつなげることで，大熊先生へのわずかなご恩返しになればと願っております。

2013年春

改訂委員会を代表して
東京大学大学院医学系研究科精神医学教授
笠井　清登