序
いつの時代でも、変わりない物語

新型コロナウイルスの感染拡大は、僕たちの日常生活に大きな変化をもたらしました。感染の拡大を長期間にわたって抑止するため、厚生労働省が公表した「新しい生活様式」という行動指針は、コロナ禍における生活変容の象徴と言えるかもしれません。他者との身体的距離を確保すること、マスクを日常的に着用すること、頻回の手洗いや手指消毒を行い、３密（密集、密接、密閉）を避ける等の実践が求められる社会。そのようなウィズコロナの社会で、OTC 医薬品の販売現場にも、小さくない変容がもたらされたことでしょう。

本書は薬剤師向けのウェブサイト、ファーマトリビューンで2018年6月から2020年2月にかけて連載をさせていただいた『【論文から学ぶ】薬剤師のためのOTC 医薬品』を大幅に加筆訂正したものです。いくつかの引用文献をアップデートするだけなく、全体の構成を改めて見直し、最初から書き直していますので、連載時の印象とは大きくかけ離れていると思います。同時に、薬剤師のみならず登録販売者の方や、OTC 医薬品に興味のある一般の方でも、容易に読み進められるよう配慮しました。

OTC 医薬品といえば総合感冒薬（かぜ薬）。僕にはそんなイメージがあります。だから、ファーマトリビューンで連載を始めるときも、本書のCHAPTER １でも、選んだテーマは総合感冒薬です。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大は、総合感冒薬の販売現場を大きく変えてしまったことでしょう。不要不急の外出自粛や頻回の手指衛生など、国民の多くが感染予防に対する関心を高めたことなどから、2020年から2021年シーズンのインフルエンザ感染症は激減しました。当然ながら、いわゆる普通のかぜ患者も大きく減少したはずです。マスメディアが総合感冒薬の売り上げ減少を報道していたことは記憶に新しいと思います。

また、コロナ禍で風邪の症状を感じたのなら、新型コロナウイルスに感染している可能性を無視することは難しいのではないでしょうか。ドラックストアを訪れ、風邪の症状を相談するというような、これまでは当たり前に見られた光景も、ウィズコロナの社会では想定しづらいように思います。したがって、本書で描き出した総合感冒薬の販売をめぐる「物語」は、大きく崩れてしまったと言えるかもしれません。

総合感冒薬に限らず、消毒薬やマスク、ポビドンヨードを配合した含漱薬についても、コロナ以前とコロナ以後では販売現場の状況が大きく変わりました。本書では、基本的に新型コロナウイルスの感染が拡大する以前の状況を想定しています。したがって、その物語の一部あるいは全部において、現実にはそぐわない風景があるかもしれません。とはいえ、薬を介して生活の豊かさに少しでも寄与するという物語だけは、いつの時代でも不変だと思います。薬は医療用であれOTCであれ、人の生活に資するものであってほしいと、そう思うのです。そう、人の身体というよりはむしろ、人の生活に。薬について論じた本書が、専門書や学術書という枠組みを超えて、人それぞれの生活という名の物語になじんでいくことができるのであれば、これほど嬉しいことはありません。

2021年2月5日
春一番が吹き抜ける栃木市にて
青島周一