序

2020 年，東京でオリンピック・パラリンピックが開催されますが，オリンピック・パラリンピックで繰り広げられるパフォーマンスにわれわれが感動し，共感するためには，公正・公平な環境で競技が行われることが前提です．

そのようなスポーツの価値を揺るがしかねない不正行為のひとつがドーピングであり，不正使用される多くの物質は医薬品です．これらの物質のどのような作用機構が悪用されるのか，どのような有害反応があるのかについて，医科学的に正しく理解することがドーピング問題に対峙するうえで重要な一側面であろうと考え，本書を編みました．

本書は「禁止物質各論」，「主な症状・疾患の治療と禁止物質」，「スポーツ医薬における留意点」の3 つのパートで構成されています．

「禁止物質各論」では，WADA（世界アンチ・ドーピング機構）が定める禁止物質（prohibited substances）を中心に，ドーピングで不正使用される物質に関して，薬理学的・生理学的に詳細な情報を提供しています．各領域の専門の研究者に執筆をお願いし，最新の医科学研究の成果を盛り込んだ内容となっています．

スポーツが社会に拡がりをみせている現在，疾患の治療をしながらスポーツをする人々が増えています．「主な症状・疾患の治療と禁止物質」では，よく遭遇する急性症状や慢性疾患の治療において，どのような治療薬がドーピングの観点から禁止されているのか，どのような代替薬が使用可能かについて解説しています．トップアスリートだけでなく，若年者を含めた幅広いアスリートに有用な情報となるようにしました．

「スポーツ医薬における留意点」では，アスリートの状態・状況に応じた薬物治療について，アンチ・ドーピングの観点を踏まえて，それぞれの第一線で活躍している方々に解説していただきました．

本書を通して，スポーツを行っている人への処方と服薬指導について，医師，薬剤師をはじめとした医療関係者が正しい知識を共有できることを期待しています．また，普段スポーツとは関係が少ないと思われる多くの医療関係者にとっても，「もし，患者さんがアスリートであったら」ということを頭の片隅においていただき，そのような機会に直面した際に，本書がお役に立てばと願っております．

注意点として，本文中でも述べていますが，WADA の「禁止表国際基準」は少なくとも毎年1 回更新されるため，禁止される物質は変わることがあります．また，他の多くの医学分野と同様，日々進歩する医学的知識によって，記述内容が現状と乖離する可能性もあります．できる限り最新の情報と併せて本書を利用していただくようお願いいたします．

最後になりますが，東京オリンピック・パラリンピックに向けて多忙を極めるなか，クリーンなアスリートを守るという思いで，編集・執筆にご参画いただいた執筆者の皆さまをはじめ，本書の企画段階から併走してくださった中山書店編集部の皆さま，ならびに本書刊行にあたりご協力いただいたすべての方々に深く御礼申し上げます．

2020 年，東京オリンピック・パラリンピックが開催される年に，本書を上梓できることを感慨深く思います．

2020年1月

総編集 鈴木秀典
日本医科大学大学院医学研究科
薬理学分野 教授