はじめに

本書は，歯科医師や歯科衛生士などの歯科医療従事者，歯科系の学生を対象に，歯科臨床論文の効率的な検索の方法と，論文の読み方を解説しています．

そもそも，なぜ歯科医療従事者が論文を読まなければならないのでしょうか？　教科書や診療マニュアルを読めば，歯科臨床に関する知識は得られます．若手の歯科医療従事者は，上司や先輩に教わりながら，実践的な臨床のスキルを磨くことができます．論文など読まなくても，歯科臨床のルーチン・ワークはほぼ無難にこなせるでしょう．ではいったいなぜ，苦労して論文を読む必要があるのでしょうか？

その答えは，「エビデンスに基づく歯科診療（evidence-based dentistry,EBD）」を実践するためです．エビデンス（evidence）とは，ある治療法が疾患の治癒・軽快，QOLの改善等に効果があると科学的に正しい方法で示された根拠を意味します．歯科における最新のエビデンスを得るために論文を検索し，その内容を日常の歯科診療において個々の患者に役立てることが重要です．歯科医療従事者は，質の高いエビデンスに基づく臨床的意思決定を行い，効果的で効率的な治療につなげることが期待されます．

しかしそうは言っても，現実はどうでしょうか？　日本の歯学系大学では，EBDの実践方法について十分な教育が提供されているでしょうか？　日本の歯科医療従事者は，どの程度EBDを実践できているでしょうか？

実際には，歯科の卒前卒後教育において，歯科臨床論文の読み方やEBDの実践について学ぶ機会は少ないように思われます．大学病院で勤務していたり，大学院生として研究に従事している方々は，EBDに触れる機会が比較的多いことでしょう．しかし，歯科診療所に勤務すると，EBDという言葉すら日常的にあまり聞かれないように思われます．

EBDが普及しない原因の1つとして，若手の歯科医療従事者が歯科臨床論文を読むことに困難を感じていることが挙げられるでしょう．歯科に限らず，論文は日本語で書かれることもありますが，質の高い論文は英語で書かれています．英文の歯科臨床論文を読むには，英語力，歯科の専門知識，疫学・統計学の知識，という3種類の異なる素養が必要になります．しかしながら，論文の英語は平易であり，高卒程度の文法知識があれば読めます．歯科の専門知識は教科書を読んだり臨床経験を積んだりすれば身に付きます．つまりこれら2つをハードルと考える必要はありません．本当のハードルは疫学・統計学の知識であり，これが歯学教育において決定的に不足している要素と言えるでしょう．

疫学・統計学の知識が欠けていると，歯科臨床論文を読みこなすことは困難です．とはいえ，多忙な歯科臨床従事者が，難解な疫学・統計学の成書を紐解いてそれらの知識を身に付けようとすることは，あまり効率的ではないでしょう．そこで，すべての歯科医療従事者や歯科系の学生に，本書をお薦めします．

本書は，「エビデンスの探し方」と「論文を読んで理解すること」に着眼して執筆しました．本書の構成は以下のとおりです．第1章（Evidecebaseddentistry）では，エビデンスの定義や評価方法，実臨床におけるエビデンスの活用方法について詳説しています．第2章（エビデンスの探し方）では，診療ガイドラインなどの二次情報の利用方法，PubMedなどを用いた一次情報（原著論文など）の探し方を解説しています．第3章（研究デザイン）では，歯科臨床論文を読むうえで必要不可欠となるバイアスや研究デザインの知識についてわかりやすく解説しています．第4章（論文の読み方）では，実際の歯科臨床論文を題材として，論文の構成（IMRAD）に沿った論文の精読方法や論文の批判的吟味について解説しています．第5章（統計解析の基礎）では，論文の内容を理解するうえで必要最低限の統計学の基礎知識についてまとめました．

なお，本書の著者ら（石丸・大野）は歯科医師であり，歯科臨床の経験を積んだ後に，東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻（School of Public Health）で公衆衛生学修士号（Master of PublicHealth），同社会医学専攻で臨床疫学の医学博士号を取得し，現在は大学教員として歯科臨床研究に従事しています．

多くの歯科医療従事者が，診療技術を磨くことと同様に，論文を読んで最新のエビデンスに関する知識を得ることを重視し，それらを活かして，患者にとってより効果的かつ効率的な歯科診療を実践できるようになることを願っています．

2022年3月

石丸美穂　大野幸子　康永秀生