見えてしまう危機

皮膚科のトレーニングをある程度積めば，皮膚疾患の多くは見ただけで診断がつくようになります．しかし，一瞬で問題が解決してしまうと，皮膚症状の裏側に潜む根本的な問題を見逃す危険性があります．直観的な（無意識下の）判断を一旦保留して，「本当にこの結論で間違いないだろうか？」と立ち止まる（問題を意識下に引きずり出す）ことは，医療に限らず，思い込みによるヒューマンエラーを回避するために大切なステップです．実際，医師は日常診療でこの段階を踏んでいます．皮膚科的には，まず眼で攻め（視診），一旦立ち止まり，他に見逃している点はないかと思いを巡らすわけです．しかし，さまざまな要因により，この最後の段階に漏れが起きることがあります．

私は症例報告の抄録を読むのが好きです．教科書にはない臨場感があるからです．10年ほど前からは興味のある抄録の収集も始め，データをクラウド型のメモ格納ソフトに入れて，診察時に活用するようにしています．年齢，性別，症候などを入れて検索をかけると，気づかなかった疾患が病歴とともにヒットするわけです．病歴という物語には主治医が「何かおかしい」と思ったきっかけがキラ星のように輝いており，それらこそが重要なキーワードになります．皮膚科的な症候に，これらのキーワードをつけて整理しておけば，重要な疾患を見逃さないためのチェックシートになるのではないかと思い，書籍化を計画しました．

本書は企画段階から臨床写真のない診断学を目指しました．本書の目的は自分が思いつかなかった鑑別疾患の発見です．したがって，なるべく皮膚の症候は曖昧に，少し広めにとらえておいたほうが良いと思ったからです．また，皮膚所見を詳細に分析できなくても，もっといえば医療従事者ではない一般の方でもイメージできる程度の皮膚症状に，一般の方でも理解できる症候のキーワードを組み合わせることにより，重要な疾患をあぶりだせるのではないかと考えたためです．キーワードの多くは，簡単な質問によってえられる病歴と症候です．ちょっと立ち止まって，この皮膚症状を示す疾患の中で最も危険な疾患は何か？と考え，それを簡単にチェックできれば，重大なエラーを回避できるのではないかと思ったのです．眼で攻め（視診），一旦立ち止まり（眼を閉じて視覚情報を簡素な言葉に変換してしまう），次に用意されている言葉の側から攻める（重要な疾患を想起すべきキーワードのチェック），といったイメージです．

各項は，クイズ，解説，病歴，まとめ，という流れで構成されています．クイズの中で最も大切な質問は「見逃してはいけない疾患は？」です．次の病歴集は本書の核となる部分です．ここには，皮膚科医にはあまりなじみはないが，他科では重要で，しかも皮膚症状とリンクしやすい疾患も盛り込みました．ノンフィクションである病歴は無味乾燥な解説文より臨場感があるため，疾患の理解に役立つのではないかと期待しています．

写真のない皮膚科診断学の本を出版するというギャンブルに乗ってくれた学研メディカル秀潤社とアイデアを形にしてくれた編集者の宇喜多具家さん，校正を手伝ってくれた息子の大地に感謝します．本書が皮膚疾患の診療に関わる方の助けになることを願っています．

2016年3月5日，太陽の塔が見える窓際で

宇原　久