第32版への序文

この度，“Harper’s Illustrated Biochemistry（イラストレイテッド ハーパー・生化学）”の第32版を出版することは，著者ならびに出版社の欣快とするところである．本書は，1939年に“Review of Physiological Chemistry”としてカリフォルニア大学医学部（サンフランシスコ校）のHarold Harper博士の単独著書として初版が刊行された．現在は“Harper’s Illustrated Biochemistry”というタイトルで，当初の目的どおり，医学の学習に最も関連する生化学の側面を簡潔に概観するものとなっている．この間，多くの著者の貢献により改訂が重ねられ，医学に特化した本教科書は現在83年目を迎えている．

第32版の表紙

世界的な新型コロナウイルス（COVID-19）パンデミックは，分子医学と疫学のすばらしい力と，限界を劇的に示した．非常に効果的なワクチンの迅速な開発は，患者の免疫反応を遺伝的にコードされた抗原の体内での発現を通じて活性化するという，外来性の抗原の注射ではなく，新しいRNAベースのアプローチの適応によって可能になった．患者自身の細胞を抗原生成のバイオリアクターとして利用することで，科学者たちはポリヌクレオチドの自己増幅能力を利用し，ワクチン開発のスピードとその後の大規模製造を加速した．表紙には，中和抗体（青色）が，COVID-19として知られるSARS-CoV-2コロナウイルスの表面にあるスパイクタンパク質（赤色）に結合している様子が描かれている．抗体が結合するエピトープは，ウイルスがACE-2受容体に結合する部位と重なり，この受容体は病原体がヒト細胞を認識し，結合し，その後侵入する際に使用される．治療用抗体は，スパイクタンパク質とACE-2受容体との結合を物理的にブロックすることにより感染を防御する．

第32版における改訂ポイント

“Harper’s Illustrated Biochemistry”は常に，病気の理解，その病理，そして医学の実践における生化学の重要な役割を強調している．長年の著者であるDavid A. Benderの引退に伴い，ヴァンダービルト大学のOwen P.McGuinness教授に引き継がれた．McGuinness教授による新しい視点や斬新な洞察に加え，ほとんどの章の内容が更新され，読者に最新で関連性の高い情報を提供している．たとえば，第6章では，Bohr効果がCO 2の輸送と肺からの排出に与える影響についての説明が再編成され，拡充されている．また，第9章では，酵素の活性化におけるチモーゲンzymogen（酵素前駆体）の役割についての記述が更新され，拡充された．

本書の構成

全58章は医学的関連性の高い生化学に重点を置いている．58章は次のような11のセクションに構成されており，各セクション末には学習を支援し，情報の整理と理解を促進するために演習問題が，巻末には解答集が掲載されている．

セクションⅠ〔1～6章〕　生化学の簡単な歴史を紹介し，生化学と医学の関係性を強調して述べる．水と細胞内pHの恒常性の重要性をレビューし，タンパク質の構造について議論している．

セクションⅡ〔7～10章〕　ヘモグロビンに関する章から始まり，酵素の作用機構，動力学，代謝調節，金属イオンの役割について解説．

セクションⅢ〔11～13章〕　生物学的酸化にかかわる酸化還元反応や，エネルギーの取り込み，輸送における高エネルギーリン酸塩の役割について議論している．

セクションⅣ〔14～20章〕　解糖系，クエン酸回路，ペントースリン酸経路，糖新生，血糖値の制御など糖代謝について解説．

セクションⅤ〔21～26章〕　単純脂質および複合脂質の性質，脂質の輸送と貯蔵，脂肪酸や複雑な脂質の合成と分解，さらにコレステロール生合成と輸送の反応と代謝調節について解説．

セクションⅥ〔27～31章〕　タンパク質の異化作用，尿素の生合成，アミノ酸の異化作用について議論し，不完全な異化作用に関連する医学的に重要な代謝異常に焦点を当てて解説．

セクションⅦ〔32～39章〕　核酸とヌクレオチドの構造と機能についての概要を述べ，DNAの複製と修復，RNAの合成と修飾，タンパク質合成，遺伝子発現の調節について詳細に議論している．

セクションⅧ〔40～42章〕　細胞外および細胞内情報伝達について述べる．生体膜の構造と機能，ホルモン作用の分子機構なども取り上げている．

セクションⅨ～Ⅺは，医学的に重要な14テーマを掲載している．

セクションⅨ〔43～48章〕　栄養，消化および吸収，ビタミンなどの微量栄養素，フリーラジカルと抗酸化剤，糖タンパク質，生体異物の代謝と臨床生化学などについて述べる．

セクションⅩ〔49～54章〕　細胞内におけるタンパク質の輸送と選別，細胞外マトリックス，筋肉と細胞骨格，血漿タンパク質と免疫グロブリン，赤血球と白血球の生化学を扱う．

セクションⅪ〔55～58章〕　止血と血栓症，がんの概要と老化の生化学について述べ，加えて代表的な生化学的な症例を掲載している．

謝　辞

著者らは，本版の出版計画において大きな役割を果たしたMichael Weitz，出版準備を監督してくれたPeterBoyleに感謝の意を表する．また，編集，組版，図の作成，管理に尽力してくれたKnowledgeWorks Global社のTasneem Kauserと彼女の同僚にも感謝する．また，世界中の学生や教育者からいただいた数多くの意見や助言にも深く感謝申し上げる．

Peter J. Kennelly
Kathleen M. Botham
Owen P. McGuinness
Victor W. Rodwell
P. Anthony Weil