はじめに

「試合では，打ちたい球は来ない．自分が全く予想していない球が来た時に，どう対応するか．それが，大事です」「準備というのは，言い訳の材料となり得るものを排除していく，そのために考え得るすべてのことをこなしていく，ということです」

イチロー選手の言葉です．総合診療や救急医療といったジェネラルの分野に身を置いてきましたが，この名言はまさに，私にとっての日常でした．

「実は足の裏にほくろができて......」「最近，目がチラチラするんです」．外来で患者さんから突然そう言われ，ダーモスコピー検査や眼底検査をしっかり学ばなければと反省する日々がありました．訪問看護師さんから「先生，尿道カテーテルが入らないんです」と連絡があり，駆けつけた私が挿入を試みたのですが入れることができず，結局，病院搬送となった苦い思い出もあります．患者さんに本当に申し訳なく，不甲斐ない気持ちでいっぱいになりながら，そのつど，紹介状を書いたり，病院に搬送したりすることで，何とか事なきを得てきましたが，そのたびに頭に浮かぶのは「ほんのちょっとの『手技力』で，もう一歩踏み込んだ対応ができたのに」という思いでした．

実際，それぞれの専門医に話を聞くと，「このくらいの手技は総合診療の先生達でやってもいいですよ」「数回やれば，すぐにできるようになりますよ」といった，予想外のアドバイスが返ってきました．耳鼻咽喉科や眼科の親しい医師に，日頃の患者さんの何割くらいが，総合診療医でも診られそうかと聞いてみると，「半分以上」という驚くべき答えが返ってきました．

必要な手技が獲得できれば，どれだけの患者さんが安心してその地域で暮らせるのか．しかし，どうすれば，そんな手技力を自分のものにできるのか．どんな球でも打ち返すための準備とは？

そうした思いに可能なかぎりシンプルに応えることを目指したのが，この本の最大の特徴です．耳垢栓塞や陥入爪の処置といった訪問診療の場でも役立つ手技から，挿管困難，ルート確保困難といった救急現場で冷や汗をかいてしまうような手技まで，さまざまな専門領域ごとに，最も頻繁に遭遇する「TOP 3～5 の手技」を厳選．手技力を確実に，かつ，迅速に身につけるためのポイントを絞りこみました．実はそのほとんどが，一度は見たり，経験したりしたものが多いことに気づくと思います．改めて，自分自身の得意なところ，苦手なところを確認してみてください．

解説を担当したのは，各手技を日頃から行い，若手医師の指導にも携わる専門領域の現役医師たちです．（かくいう私も，彼らに頻繁に相談し，動画や写真，電話などでアドバイスをもらってきました．自慢の仲間たちです！）．ジェネラリストが「つまずきやすいところ」「ちょっと工夫すれば簡単にできること」など，エビデンスよりもむしろ，日頃の経験から得たテクニックを，余すところなく披露してくれています．

離島や地方都市にも暮らし，総合診療や救急医療の現場に身を置く中で私が痛感してきたことは，できる限り自分が住む地域で医療を受けたい，という患者さんの希望です．それを実現するためには，ジェネラリストとスペシャリストが一緒になって，互いの守備範囲を考え，確認しあう作業が必要です．それは，医療機関同士のスムーズな連携にもつながっていくでしょう．料理本医療（Cook Book Medicine）と揶揄されることもありますが，救急カートの上にこの本を広げて，あるいは，外来処置室の机に広げて，キッチンで料理本を参考にするのと同じように，手技をしてみてください．「今この手技力が必要！」という時，この本がきっと，良き指導医になってくれると思います．安心して患者さんと向き合える──．この本が，高い志を持つみなさまのそんな一冊になってくれたら編者として，望外の喜びです．

The right skills in the right place at the right time.

（適切な技術を，適切な場所で，適切な時に）

ゲネプロ代表
Director, Rural Generalist Program Japan
齋藤　学