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- 原発に一番近い病院
商品情報
内容
序文
はじめに─被災地で暮らしはじめた日
十九年間にわたって勤めていた大学病院を辞めて、私は、二〇一二年四月から福島県浜通りの"南相馬市立総合病院"で働いている。この病院のある街は、シティ(行政区という意味で)としての体を成しているなかで福島第一原子力発電所からもっとも近い距離にあり、私はそこに居を構えている。
この一年間、微力ながら医療を支え、市民活動にも参加しながら、この街で過ごし、この家で寝食し、この職場で働いてきた。新しい街での生活は、(当たり前だけど)愉快なこともあれば、落胆することもあった。
赴任した早々、私は「自分のことだから、福島での"春夏秋冬"を経験したら、まとめて本にします」と、いきなり公言していた。だから、診療の傍ら気がついたことを書き留め、それをインターネットや雑誌に投稿することも日々の課題としてきた。それは、「福島の医療現場の実情を伝える」という意味において、この土地に来た"目的"のひとつであったかもしれない。
しかし、文章を綴っていくなかで、私のなかにあるものがひとつずつ変化していくことに気がついた。それは、活動の記録として単に刻んでおきたいという"文章の意味"が、自分を相対化するための、言うならば"照準器"としての役割を担うようになってきたのである。私の文章は、批評してもらうことで、知らず知らずのうちにどこかに行ってしまいそうになる自分の意識を、書くという一定した文脈的レベルから大きく外れないよう留めておくための"手段"へと変化していった。
目的が、"手段"に変わったのである。そして、そういう創造を繰り返しながら日々を過ごすことが、(あくまで私にとってだが)ここで暮らしていくためのひとつの生き方のように感じられた。
被災地での活動に関する書籍が氾濫しているなかで、福島のことなど忘れ去られつつある時期に、改めて何を語らなければならないのか? 何の災害知識も持たずに、この地にやってきた生活者の一年間というものが、はたしてどういうものだったのか?
当たり前だが、医師だからといって活動のすべてが上手くいくわけではない、かつて"准教授"だったからといって信頼されるわけでもない。美談なんかには、とてもならない。私の伝えるべきことは、努力体験や奮闘技術ではない。ひとりの人間としての暮らしであり、試行錯誤と紆余曲折とのなかでの、わずかな希望である。
少し話は外れるが、あらゆる人たちは、この長い一生において、何かひとつの"大切な物"を探し求めているのではないだろうか。しかし、実際にそれを見つけることのできる人は、ほんの一握りであり、もし運良くそれを見つけたとしても、多くの場合きっとそれはたいして重要ではなくなる。一時探し当てたと確信したとしても、時間が経つにつれて、「これが本当にそうなのか、もっと他に大切な物があるのではないか」と思ったりもする。だから、おそらく人は、生涯をかけてそれを探し続けなければならない。そうしなければ、生きている理由そのものが損なわれてしまうからだ。
そういう意味で、「四〇歳を過ぎたあたりからの人生は、その人にとってかなり重要な節目になってくるのではないだろうか」と、私は昔から(といっても、三〇歳代が終わろうとする頃からだが)考えていた。
私の場合、大学組織に二〇年近くも在籍していくなかで、「そろそろどうなのだろうか」という気持ちが芽生えてきた。研究を発展させるにしても、臨床の実力を上げるにしても、それはそれで意味のある生き方だったと思う。しかし、人生の折り返し地点を過ぎたあたりから、「残りの半生にやるべきことはいったい何なのか」ということを考えるようになった。
「その結果が、すなわち被災地支援だ」という単純な図式ではないが、意外と私はラフな気持ちでこの地に来てしまった。だが、ここに来るということは「何かを得たいがために、何かを置いていくことになるだろう」という、漠然とした心の不安はあった。
私がここに来た理由には、いくつかのポジティブな確信があり、いくつかのネガティブな口実があった。いくつかの建設的な根拠があり、いくつかの刹那的な打算があった。
でも、そのようなことについては、もうあまり語りたくない。そのことは、この地で過ごすなかで既にどうでもいいことになってしまったし、私にとってどうでもいいことは、読者にとっては、もっとどうでもいいことであろうから。
「医療支援」といっても、これだけ大きな被害の発生した震災であるからして、そこでの活動自体はそれほど珍しいことではない。東北地方においては、多くの外部支援者が活躍し、その足跡を残していったことであろう。だから、ここには目新しい啓蒙的な要素はほとんどないし、有益な復興手順というものが述べられているわけでもない。偉そうなことを言ったり、自虐的なことを打ち明けたり、展望的な未来を俯瞰したりしても、結局はもったいつけて自分の思想を語っているに過ぎない。きっとここにあるのは、住民として生活した私自身の日々の暮らしだけである。
もしかしたら、改めて述べることではないかもしれないし、そのひとつひとつの断片にも、たいした価値はないかもしれない。だが、そのささやかな営みから感じたことや、考えたことを途切れ途切れではあるにせよ、つないでいったその行為にこそ意味はあった。
被災地と、そこから遠く離れた場所にいた自分とを結びつけるために、私は、──言うならば自分を堅持するために──ここに来てからも文章を書き連ねてきた。
本書の第一章では、「福島に行くまで」と題して、震災が発生した当初から福島の病院に転勤するまでの一年間の想いを述べた。それは、私がまだ栃木県の大学病院に勤務していた頃に書いたものであり、既に、インターネット・メディア『日経メディカル・オンライン(//medical.nikkeibp.co.jp/)』に掲載し、前著『医者が大学を辞めるとき』(中外医学社)の最終章にも含まれている。
それは震災の余波の色濃く残るなかでの想いであり、もしかすると、現在の実情とはだいぶかけ離れた内容であったり、いまの気持ちとは相当な乖離を示していたりするかもしれない。しかし、本書をまとめるうえでの導入としては欠かすことのできない、(あくまで?自分?にとってだが)重要な記録であり、私の気持ちもここから始まっている。そうした観点からも、できるだけ短縮するが、再度まとめて紹介したい。
第二章から第五章までの内容は、この南相馬市に来てからの所感や活動を、その時々で綴ったものである。これについても、そのコンテンツは『医療ガバナンス学会』のMRICというメールマガジン(//medg.jp/mt/)に投稿した記事を原形としている。他の項との重複を避けるために多少の手入れをしているが、基本的には当時のオリジナルのままである。
きっと私の書いた文章内容には、多少の矛盾がある(たとえば、先に「この地に来た理由は語りたくない」と言っておきながら、本書ではそれらに関する葛藤や言い訳が縷々述べられていたりする)。だがそれは、被災地で暮らす同一人物が、その活動のなかで、人々と触れ合うなかで、社会とコミットするなかでの思考の変化であり、そういう意味では、「春・夏・秋・冬」に分別した経時的な流れにも一応の意味がある。矛盾を矛盾と捉えず、「意識の変化である」とご理解いただき、そのあたりを配慮して読んでもらえると助かる。
そして、あらかじめ断っておくが、第二章の『福島での「春」』は、"春"という語彙とは裏腹に、やや陰鬱な内容となっている。福島に来たばかりで慣れない期間であったし、とにかく"来た意味"を模索していたからだ。若干暗い気持ちになったとしたら申し訳ない。しかし、これも人生を考えるうえでの参考になればと思うので、どうか読み進めていただけるとありがたい。
単なる被災地の活動記録としてではなく、そこで暮らすひとりの生活者の"息づかい"のようなものを感じていただければ、これに勝る筆者の歓びはない。そして、お読みになった一人でも多くの人たちが、福島を理解できずとも、せめて、いま一度関心を寄せ、被災地の現況を心のどこかに留めていただけたのならば、この土地に縁もゆかりもない人間が苦労して文章を書き連ねてきた甲斐があるというものである。
被災者の苦悩を他所に、福島は確実に忘れられていく。それを責めることは、けっしてできない。だから、私たちはいつまででも現実を伝えていく、──被災地で暮らすことになった日から。福島のためにできることは、私にとっていまのところそれしかない。
目次
第一章 福島に行くまで
東日本大震災発生から一ヵ月間で考えたこと
原子力からの希望─福島を初めて訪問して
福島の医療現場へ
現場から見えてきたもの
第二章 福島での「春」
福島での意味とは?
福島で足りないもの
福島での暮らし
初めての研修医を迎えて
第三章 福島での「夏」
福島を語るということ
南相馬市に日産〝リーフ〟がやってくる
福島を死生観から語る
診察室を出よ
第四章 福島での「秋」
南相馬の市立病院で研修ってどうよ!
被災地での恋ノハナシ
ザ・市民活動
〝南相馬ひばりエフエム〟から、医療者たちのラジオ番組『医療の放送室』がスタートしました
第五章 福島での「冬」
「言わない善意」より、「行動する偽善」
忘年会
福島から消えつつあるもの(警戒区域に入って)
HOHP(H=引きこもり・O=お父さん・H=引き寄せ・P=プロジェクト)が誕生するまで
おわりに─被災地が故郷になる日
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書籍情報
- ISBN:9784498048102
- ページ数:208頁
- 書籍発行日:2013年10月
- 電子版発売日:2014年7月25日
- 判:A5判
- 種別:eBook版 → 詳細はこちら
- 同時利用可能端末数:3
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